大学の恩人より。
『君には現実検討力がない』と言われたことがあり。
現在もまぁまぁ。
皆無とまでは行かなくとも、足りないとは思うのですが。
実際、あの話が何を意味するのかが。
完全に理解できたのは、ごく最近のことなのですよ。
あー、つまり。
彼は僕を精神病に罹っていると言いたかったのでしょう。
神経症か精神病かの基準が。
現実検討力の有無なので。
そのあと諸々、訊かれたことに答えていたら。
『養っていく能力が備わっているから、君の病気は治ると言うのが私の見立てだ』とも言われたなぁと。
それがあり得ることかと言われれば。
当時、下された診断名から推察するにあり得そうもないなぁと言うモノだったのですが。
実際どうかと言われれば。
現在、その診断名が付いていないことを考えると。
一理あったんだろうなぁと、思うのです。
──治ってはいないんですけどね。
撤回されてしまっただけですし。
そもそもその病気じゃなかった、と言うことでして。
なんだよ、とは思いましたけどね。
撤回されずそのままよりはマシだったろう、と。
長く向精神薬を飲み続けなければならなかった筈なのに。
僕の場合、3年以上飲まなくてもケロっとしてしまっていますし。
精神疾患も身体的な病気であって。
薬をなくしても悪化もせずにそのままであれば。
当時の診断名を撤回せざるを得ない、と言うのが。
医者の見解だろうな、と。
誤診であれば、いいのですけどね。
まぁ、あり得る話ですし──誤診の誤診、とか。
なので、経過観察をされに。
年に4回ほど、主治医に顔を出すことにしているのです。
そもそも、正しい診断って難しいですから。
精神科領域であれば、なおさら。
数値としてハッキリと出ない以上。
これも止むなしか、と。
納得しているので。
……もしかしたら、えぇ。
現実検討力を養うと言うのは。
医者にとって有利な患者になると言うことなのかも、しれま──なわけないですよ、はは←
……え、そのさっきから書いている。
現実検討力って何か、ですか?
簡単に言うと。
内省が可能か否かですね。
現実と虚構の区別が付くかとか。
自分以外のことと自分のことを混同せずに切り分けて考えられるか、とか。
……。
……………………あれ?
【関連する記事】