ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2019年10月29日

冷たい思考の話

僕にとって、計算とは。
無関心ゆえに可能な代物と言えます。

関心があれば、気が散るので。
計算にならないのです。

考慮に入れるモノが多くなりすぎる、と言うことでもありますし。
計量可能なモノとして認識できなくなる、と言うことでもあります。

例を挙げると。
最近、アオリイカを調達したんですよね。

……なんの話かって?
計算の話ですよ?←

……えっと。
そのアオリイカ、すっごく新鮮で。

美味しくってですね。
ただ、捌く前は──生きてたんですよ。

……え、そりゃ捌く前はなんだって生きてるって?
いや、家の俎の上に置かれた状態でもまだ生きていたってことですよ。

そのとき、僕は。
捌きたくないなぁって思ったんです。

吸盤に触れると、くっつくんです。
耳の部分に触れると、鮮やかに光るのです。

それを捌くのかぁ、と。
もったいないなぁと、思ってしまいまして。

……え、可哀想じゃないのかって?
同居人にはそう説明しましたが、実際には異なります。

可哀想なのではなく。
もったいないのです──ずっと、眺めていたかった。

捌かずに、ずっと。
生が途絶える瞬間を──こちらが手を下すことなく──眺めていたかったのです。

僕が殺すには惜しいと思ったのです。
それほど──綺麗、でしたから。

……ただ、いったん捌いてしまうと。
サクサク進んで結局、10分後には胃袋の中なのです。

つまりは、そう言うことです。
捌いてしまえば綺麗だったモノで──あの綺麗なモノは、過去のモノになるわけですから。

あとは、容赦なく。
掻っ捌けると言うモノなのです。

それに、計算は似ていると思います。
冷たい思考にて運用されるべきです──そこに私情は必要ありません。

そして、解いてしまえばもう。
その存在すら残らないように──それはさながら流星の如く──消えるのが望ましいのです。

──なので無関心は。
言い過ぎ、でしたかね。

水のように淡い関心くらいは。
あると言っていいかもですね──胃の中に入れたらもう気が済むくらいに、です。

と、言う話をしつつも。
オチは特にないので突如この話を終えようと思います←←←
タグ:計算 感情 思考
posted by バロック at 20:01 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: