ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2019年05月11日

不信の話

人の記憶力を過信しないようにしています。
……と、言いたいところですが。

実際には、全く信じていません。
でもそれは──相手が全く記憶していない、と信じているのではなく。

相手が言う『忘れた』とか。
『覚えていない』と言うのを、信じていないと言うことです。

本当に、思い出せないから言うのかもしれませんが。
単に思い出せないことなんて、何かの拍子に思い出すモノですから。

別の話題にて。
例えば──僕が離席しているときに、『忘れた』はずの話が繰り広げられても。

あぁ、思い出したんだなと。
僕のいるときに覚えていると言うことは不適だと看做したんだなと、思うようにしているのです。

僕自身、指摘されるまで覚えていることはないですし。
どこかに眠っているだけで、突如記憶が走馬灯のように走ることだって、あるのですから。

『忘れた』とか、『覚えていない』と言うのは。
信じないことに、しているのです。

──それに。
相手が忘れていることを前提、もしくは覚えていないことを前提に話をするなんて。

非常に失礼な態度だと、思うのですよ。
……いや、塾講師時代にもそのスタンスでしたよ。

だからこそ、復習をしてもらうんです。
いちど習ったことであれば──そして、どの抽斗に入れてどうやればそれが開くのかが分かれば──そして、その重要さに気付けば。

忘れることも、なくなるのですし。
無論──その抽斗に何も入っていなければ、話は別ですが。

……と。
人当たりのいい塾講師で在ったとは思いますが。

もしかしたら、恐ろしく厳しい人だとも見られていたかもしれませんね。
別にそれは──いいのですが。

相手が『覚えていない』ことを前提に話を進めると。
相手の能力をこちらがいちばんよく知っていると自分自身を過大評価しているようで、嫌だったのですよ。

そんな人って、人を見縊りますし。
みっともないですからね。

もし僕が、そうなったときには。
それは以前の僕ではなく、何か別の存在になった……と、思っていただきたいくらいです。

人の記憶力を過小評価する人を見ていると。
それがその人の想像力の限界であり、その他諸々の能力についてもその対象に劣っていると言うことにも気付かない愚か者……とすら思う僕が。

そうなってしまったら、と思うと。
眉間に焼き鏝を当てられるみたいに──ゾッと、してしまうのです。
posted by バロック at 20:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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