ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2018年12月27日

思った通りに書いてみようかな

僕が本を好む理由?
頭を使えるからです。

とも、言えますし。
知識欲の赴くまま、探究できるからでもありますし。

自らの精神世界にサイコダイブできるから、とも。
言えますね──読書は、自らとの対話をする行為だと思うので。

作者から何かを得るのではなく。
自らが柔くなり、受容する準備のできた所に自分自身で鋳型を刻んでいく行為──これが、読書であると。

何となく、僕は思っているのですよ。
その点で僕は、読書を療養の一環とも捉えつつ。

荒療治の一環とも捉えているのです。
施しすぎると、心身に深刻なダメージを負うでしょうし。

最悪、精神死がオチであると。
そう、思うので──読書をする際には、飲み込まれすぎないように注意しなくてはなぁと。

……え、精神死ってあり得るのかって?
脳が死ぬこと?──いいえ。

脳が死んだら、身体死に近いですが。
精神死の場合は、生命活動の維持には必ずしも問題がなくとも──なんと言いますか。

早死にする方法を、選び易くなると言いますか。
あくまで、身体的に。

なぜなら、精神的に死んでしまうと。
身体が生きていることに違和感を感じてくるモノですし、人は何かと自然な状態に向かおうと帳尻を合わせる生き物だからだと。

個人的に、思うわけです。
……んー、僕のイメージでは。

脳は、身体と連関があり。
精神は、魂と連関がある……と、言う感じなのです。

厳密に言えば。
脳は身体に内包されており、精神は魂に内包されていると言いますか……ゆえに。

脳に欠損が発生しても、魂は無事であり。
天国に行くか輪廻転生するかは各々の宗教に任せるとして、平穏に次のステップに行けると。

されど、精神に欠損が発生した場合。
魂にも欠損ができるために、平穏に次のステップに向かうときに──身体的ネクロシスに苦痛が伴うように──苦痛ありきになるのではと。

精神力が、その際の艱難辛苦に耐えうる一定のエネルギーとした場合。
生前にエネルギーを枯渇させているモノは──次のステップに行く前に、どうなってしまうのであろうかと。

思ったり。
思わなかったり、なのですよ。

これは、個人的に思っていることですし。
今まで生きてて生と死≠ノついて考え続けたいま現在の暫定解、つまり戯言のようなモノなので。

大目に、見ていただけるといいなと。
思うのですが──つまり、何が言いたいかと言いますと。

読書は、しすぎることなく。
自らを精神死まで舗装する道を形成することなく──楽しめて行けるのであれば。

これほど、面白い行為はないなと思うのです。
身体に直接刻まれた刺青をクサす人はいても──精神に刻まれた刺青をクサす人は、よほどの物好きしかいないほどに少ないモノですから。

さて、と。
そんなわけで、読書を続けるとしましょう。
posted by バロック at 20:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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