ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2018年01月18日

ムレータが靡く

ふと、思うことがあって。
きっと、人が正気でいられるために必要な条件は。

自他ともに自らが必要とされていると言う実感。
なのだろう、と。

よく、それを『世界公平感』とか言いますけども。
世界ってなんだろうとか、公平とはなんだろうとか考えていたら。

そう、思うわけでして。
自分自身はこの世界に必要であるし、世界も自分自身を必要としてくれる人がいるだろうと。

世界が自分自身を必要としなくても。
誰かに『君の代わりはいくらでもいる』と言われても。

それは別の人も同じことを言われていて。
そこに自分が入る可能性も大いにあることを考えるに。

代替可能だからこそ、自らはどこにでも必要とされていて。
必要とし、必要とされる場所に行く権利があるのだとーーそう、思うわけなのですよ。

代わりがある、と言うのは。
その役割を担う人ではなく、その人自身ではないと言うことを。

ここ最近は、よく思うのです。
席が空いた際に、すんなりと席取りができればそれでいいのではないだろうかと。

ふと、色んなことを思うわけですが。
つまり、悲観的になるだけ自ら袋小路に嵌る業となるので。

じゃあどうしたいか。
では、何をするか……と考えたほうが、指針も立つし生産的だなって思うのですよ。

それを見失うと、錯覚するんだと思うのです。
誰からも必要とされていないし、自分は価値のない人間だと。

しかも、その人が死にたがりであれば。
どんな凶行に駆り立てられる、ことでしょう。

それが誰のせいか、と言えば。
実行したその人のせいなのか……それとも、と。

まぁ、そんな妄言は。
以前に自他ともに必要とされていないと思い込みつつ凶行に及ぶことをせずに自らを傷付けることを選んだ過去の自分を慰めようとするだけの、戯言なんですけどね←
posted by バロック at 00:00 | Comment(0) | 戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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