ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2018年01月06日

訊くだけタダ、の話

『訊くだけタダ』と言う言葉が好きではなかったり。
非常に疑問に、思ってしまうので。

訊いている間、その人は本来その時間でできた筈のことができなくなるわけで。
訊かれているほうも、然りなんですけども。

聞き手がそれを言う分には、いいのかなって思いもしますね。
聴く準備ができている、と言うことでもありますし。

それであれば、別に。
アドバイザーとしての仕事をしている最中にアドバイスを求められるのと同義ですから、別にいいのかなと。

ただ、です。
訊くほうが『訊くだけタダ』と言うのには、甚だ疑問なのです。

それって、特約も設けず勝手にサインさせる凄まじい悪徳高利貸しと何が違うのでしょう?
轢き逃げ犯と、何が違うのでしょう?

それをずっと、疑問に思っているのですが。
最近、キリスト教の講義中にイエスがした例え話を見て、ピンと来たのです。

そうか、と。
『訊くだけタダ』って、使い手によって印象が違う……まるで、『お客様は神様だ』と客が言うと反感を買うように、と。

話し手が言った言葉なのか。
それとも、聴き手が言った言葉なのかで。

随分と、印象が違うんだと。
そのとき、何となく気付いたのですよ。

今回に関しては。
それが『訊くだけタダ』と言うことだった、と言うだけなんですよね。

きっと、他にもそう言う言葉がたくさんあって。
受動的にそれを見聞きしている人間は、その言葉の響きでいいか悪いかを判断しがちですが。

全ていいとか。
全て悪いとかは、殆どの場合ないわけで。

それと言うのは、言った側か言われた側でも違うんだなと。
僕はそう、思うわけで。

よく、『何を言ったかが重要ではなく、誰が言ったかである』とも言われますが。
これなんかは、典型なのかと思うのです。

じゃあ僕が『訊くだけタダ』と言われれば誰にだってカチンと来るのかと言われれば。
そりゃあ、言われればカチンと来る……と言うのが、本音ではあるので。

そう思っている人は、僕に気付かれないように訊いてほしいなぁって思ったり。
まぁ、態度にどうしても出るので分かるんですけどね、うん←
posted by バロック at 00:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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