ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2017年05月25日

ほころびの歌

眠気でぽけーっと、してしまっていますが。
最近、精神力の欠陥が見られる気がするんですよね。

と言うと、オオゴトに聞こえますけども。
実際には、疲れ易くなった−−と言うのが、正しいと思いますね。

と言いつつ。
周囲から僕が疲れているように見えにくいだけで、実際にはかなり疲れ易い体質では、あるのですけども。

思うに、休みかたをよく分かっていないですし。
某グループで感情の平面図を見る機会があったので、それを見て思ったのですが。

外にあればあるほど、誰にでも経験してそうな感情で。
内にあればあるほど、濃度の高い感情を表していそうだったのですけども。

その、外側に。
安らぎ、と言うモノもひとつ、あったのです。

内に行けば行くほど。
安らぎが、喜び、そして恍惚と表されていて。

僕は、どうなのだろうと思った際に。
安らぎ……とは、喜びや恍惚よりも感じ易いのだろうかと。

そう、思いまして。
とすると僕は−−もしかして、喜んだことも恍惚を感じたこともなかったのかもと。

そう、思い始めてきたのです。
なぜかって?−−僕は、安らぐことがまずないからです。

昔から、最悪の想定を自然としてしまう人で。
なかなか、その思考が止まらない人間でした。

それを回避することは、自分1人だけであれば得意なのですけども。
誰かを想定した結果、不可避であって−−そしてその誰かは、僕にとっては変域すら分からない変数でしかなくて。

どこか、無気力に陥ることも多いのですよ。
あぁ、これは僕が耐えるしかない……と。

もう少し、恐怖や憎悪などの感情が薄ければ。
こうやって、追い詰めることもないのでしょうけども。

20数年間、行なって染み付いたモノは。
なかなか拭えないモノだなと、こりゃまた無気力になっていくところもあり。

だから何かと言いますと。
まだ、願望の段階で行動に移す余地もないことではありますが。

この思考、なんとかしないと。
僕はさらに人間不信を拗らせて、さらに人を信じることが下手になって−−もっと、つけ込まれていくのだろうなぁと。

そう、思いましたので。
そのまま、したためた形です。

『ルーン使いの言の葉』は、もともと。
何度も申します通り、僕のそのときの心理的コンディションや現状をのちのち、間主観的に眺めるためのツールとして使うことも多くあります。

ですから、こう言った救いようのないブログ記事につきましても。
何とぞ、ご容赦いただけると幸いです。

−−ただ、ここまで書いていて思うのは。
まだ、書くことに対して無気力になっていなくてよかったなぁと言うことです。

僕は、それがなくなったら終わりだと思っていたので。
僕にとって、安らげることは−−自らのやりたいこと、例えば。

無心で自らの心象風景について、したためたり。
僕のやりたいことで一挙手一投足が、僕が思うかけがえのない人の役に立てたり、することくらいなので。

本当は、僕のやりたいことって。
誰かのために、貢献することなんですよね。

ただ、思考を変えなければならないところがどうしてもあるのです。
その結果、僕が確実に犠牲になってしまうからです。

意外と、人って無自覚に利己的なのに。
僕を犠牲にしても構わないから、使って−−存在意義を、与えて−−と言うと、逃げちゃうんですよね。

僕が、犠牲になってもいいよ。
と言う提案はさすがに、重たいようなのです。

しかも僕は、いちおう人間として生きているので。
尊厳を踏み躙られた瞬間に反抗されるのも、相手から見るとうざったいようなので。

じゃあ、僕は思考を改めないと。
とは、思うのです。

あなたのためなら死んでもいい、本望だ。
……と言う、破滅願望を。

そうではないと、僕って。
誰からも(性的な意味以外で)求められないと進んで、地獄に行きそうになってしまうので。

なんて、思う。
今日この頃、です。
posted by バロック at 17:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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