ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2017年04月25日

未収拾事件

僕の教え子には、毎度の如く。
基礎が第一と言う話を、するのですけども。

それは、学習する上での基本的な用語や公式。
……と言うよりも、基盤となる学習環境や体調、ないし精神的なコンディションを指すことのほうが多いです。

そこが上手くいかないことには。
杞憂なことが邪魔をして、学習意欲を阻害することになってしまうんですよね。

本当であれば、親御さんにも協力を仰ぎたい部分も多いのですよ。
面談の際に、僕も参加して−−じっくりと、家庭環境やその構成についても、よく訊きたいのです。

−−と、言いつつ。
その権限は、いち講師の僕には、ないわけですけども←

ただ、来た教え子には。
様子を伺うことくらいは、できますゆえ。

授業の初めに、必ずと言っていいほど。
『調子はどう?』と訊くように、していたり。

言わないほうがいいときも、あったりはするのですけども。
そんな事例は、よほどのことがない限り起こらないので。

……ん、例えば。
見た感じ、重症そうなくらいに衰弱していたりとか、その子が不幸の真っ只中にあったりだとか。

そのときは、だいたい。
『本日はゆったりと、していこう〜』とか。

『疲れてそうだね。きつい?−−ん、じゃあやろうか』
なんて、言ったりもします。

これについては、テンプレートと言うモノがなく。
ただ−−僕自身が気持ちを偽らないようには、気を付けています。

気休めなんて、言わないですし。
言いたくも、ないんです。

それは、僕にとってどうしようもないことですし。
僕が上辺だけで接されると、気が狂れそうになる人なので。

相手が話したことを、淡々と効きますし。
その上で、相手から拾えるリソースを使って、提起し、相手が自ら解決に向かうに値する言葉を引き出します。

誰かが解決したり、助けたりすることが全くの見当違いで。
実際には、知らないうちに解決していたり−−勝手に自分自身が助かっていることのほうが多いと言うことを、僕は知っているので。

僕から、彼らが悩んでいることで口を出すなんて。
助けてやろうなんて−−烏滸がましい、のですよ。

ですから、僕は。
『こうすれば?』とか、『そうしたら?』と言う【たられば言葉】が嫌いです。

僕が言われて、すごく心外な気分になるから。
まるで僕の抱えていることを軽んじられた気分になるから−−そう、なのです。

なんて。
だんだんと、脱線してきましたね。

実際には、僕のエゴで。
教え子に、接しているのかもしれませんけども。

自分自身が、きちんと律することができるのであれば。
僕がもっと、勤勉に励むように努力していることで。

この生き方も、ありなのだろうと。
そう信じて、貫き通している次第です。

相手も、自らのエゴを曝け出すこともありますし。
その際には−−お互い様かなと、思ったりもするのですが。

んー……エゴの晒し合いではなく。
エゴの掛け合いになっていれば、いいのですが←

なんて。
エゴ、ねぇ。

響きがよくないですね、本当に。
自我、と言う言葉にするべきだったか←

あと、なんだか収拾がつかなくなってきたのですよ。
どうやってまとめるべきかと、考えているのですが。

このまま、最初の話題に戻るのも不自然な流れですし。
だからと言って話を続けると、どんどん脱線し続けそうですしおすし←

んー……よし。
久しぶりに、この呪文を唱えるとしましょう。

デウス・エクス・マキナ!
posted by バロック at 01:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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