ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2017年04月19日

思ったまま

誰かのことについて考えることも、思うことも面倒だと思っています。
それによって、何も変わることがないと−−僕は、断定しかけているので。

そのほうが、シンプルに考えられると言うのもありますし。
そのほうが、人のせいにしないで済むと言うのもあります。

だからと言っても。
その人が僕に危害を加えるのは、僕のせいだ。

……なんてやると、息苦しくてしゃーないのもその通りで。
20になる辺りまでそれをやっていたので、死ぬほどつらかったのですが。

最近は、こう考えるようになっています。
その人が僕に危害を加えるのは、僕が関わったせいだ……と。

そうすると、どうなるかと言いますと。
もうその人のことについては考えないようにしよう、となってきます。

考えるだけ無駄、思うだけ馬鹿らしい−−と。
今なら、そう言ったはたから見ていれば残酷な断定をすることができるようになってきたのです。

それは、いい意味の諦めなのか。
悪い意味なのかは、置いておきたいのですが。

やるだけのことをやったのに、手は尽くしたのに。
僕自身が変わってもどうにもならないのであれば、もういいや−−と、なるのですよ。

僕は、こう言った諦めを悪だとは思いませんが。
そうは言いましても、善だとも思わないわけでして。

少なくとも、僕の本業で相手にする子どもたちにそのまま伝えて。
受け容れられるもののようには、僕には思えないのですよ。

彼らは僕を、悪だと言うでしょう。
彼らほどの年齢だった僕が同じことを聞いても、そう思ったかもしれません。

それは−−若いからです。
人生経験が浅いとか苦労をしていない、と言う意味ではなく−−人はどこかで善人であることを信じ、そんな残酷な思考や仕打を目の前の人がすると信じたくないからです。

だから、彼らは傷付くのです。
腹黒くならず、捻くれずに生きていけるのですよ。

では、僕はどうかと言いますと。
−−社会人になって、毎度言っている感想と同じですね。

腹黒くなりたくなかったし、子どもの頃の感性がどんどん侵食されていく心地がするしと。
本当に−−社会人どころか、大人にすらなりたくなかったなと。

そう、思ってしまいますね。
その悪足掻きが、きっと。

伸びすぎた痩せぎすの身体と、心理的幼さと。
停滞に甘んじて生きている人間への、憎悪や嫌悪に結びついているのだな−−と、そう思っております。

ここ数日は、自分の物理的な居場所と言えるところに籠ったりもできるようになりましたし。
徐々にストレス値が下がっていっているのも−−胃腸の調子や視聴覚の様子からも、分かるのですが。

まだ足りないな、と。
もしくは、何か多いのかな−−とも、思うのですが。

今は、結論が出そうにないので。
この辺にして、また後日改めて。

考えてみようかなと。
思って、おります。
posted by バロック at 02:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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