ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2017年03月02日

自由意志に基づく自由な作文の時間

なんか精神的に楽だな、と思ったら。
本日は朝から、両親に出会していないのでした。

起きてから、誰にも会うこともなく。
SNSにアクセスすることも控え、3時間ほど自分の時間に費やしたりしてみたのです。

読書をしたり。
簡単な、調理をしたり。

10分ほど、瞑想したり。
数曲、歌を歌ったり。

……妄想、してみたり。
いちおう、正直に申告してみました←

でも、そうしたら少しだけ。
気分が、晴れたのですよ。

起きたときには、かなり憂鬱なモノで。
誰かと顔を合わせたりするだけで、殺意に昇華しそうな蟠りを抱えるようなところも多くあるのですが。

誰にも会わず、誰とも会話せず。
自分自身を向上するためだけの生産的なことから、自己満足な非生産的なことをすることで。

こんなにも意志を構成する力が、湧いてくるんだなと。
そう、再認識したわけなのですよ。

……よく、自らの時間を有効に活用するには。
特定の誰かのために自らの時間を相手に投資して、有効に僕の資源を活用してもらうことが必須だ−−なんて、考えていたわけなのですが。

僕が捻れているからか、歪んでいるからか。
そのうち、僕と相手の型が合わなくなってしまうところが、どうしても出てきてしまって。

それは、どなたでも同じことであって。
僕自身が、誰かに有効活用してもらおう−−と考えていたこと自体、烏滸がましかったんだよなぁと、最近では思うのですよ。

僕が道具として、その人のもとにいる限りは。
重くなったり、いらなくなったりすれば捨てられるのも当然でしょうから。

意志のある状態で捨てられれば、次を探せましたが。
様々な要因があって−−意志を構成する力を枯渇させられた状態で放り投げられることがある、と言うこともよく分かったので。

この生き方をちょっと、変えられるように。
努力しないといけないのだなと、思ったのでした。

相手の資源を奪うことにもなりますから。
裏を返すと−−僕の資源も無駄になる、と言うことですし。

つまり、何が言いたいかと言いますと。
相手に合わせる人生と言うのは、僕には向いていない−−と、言うことなのです。

人は基本、完全に型が合う人を見つけることが至難なので。
相手のニーズに全て合わせようとすると言うことは−−それは、自らの個性を全て没してしまうのと同義なのです。

それが、本当に嫌だなと。
今回で、かなり懲りたのもあるのですよ。

……え、今回って何かって?
んー……すみません、それを訊かれると知能がサル並みになってしまって←←←

んー、取り敢えず。
自らの意志を全盛期くらいまで回復させるべく−−起きてからiPadを開かないことを、習慣として復活させようと。

そう決めた。
今日この頃でした←
posted by バロック at 13:59 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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