ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2017年02月27日

覚醒

奴隷から意志を剥奪することを、よしとする人がいますが。
実際に奴隷のような境遇になったことのない人であれば−−意味の分からないことのようですね。

あとは、支配階級になったことのない人に関しても。
このことは、理解ができないのかもしれない−−なんて、思えます。

その人の立場になって、考えたことがなく。
そのことについて、シミュレートした経験がないからこそ……その意味が、分からない。

と、言うだけのことで。
むしろそれは、健康的な生き方をしてきたと言うことですから。

別に、よいのではないだろうか。
なんて、思ったりもするのです。

知らない権利だって、ありますし。
知らせる権利なんてモノは、この世には存在しないですし。

自発的でない限りは。
権利なんて、ありっこない話ですから。

知らされるなんて。
まるで被害を被るようなモノで−−しかも、される方は何の意思も介在できないわけでして。

君には、知る権利がある−−なんて言って勝手にやってくる人は。
どんどん間引く必要が出てくるのかもしれない、なんて思うのです。

もちろん、このときの『間引く』とは。
区別する、と言う意味ですけども。

さてと。
閑話休題。

じゃあ僕は。
奴隷が意志を剥奪されるべきかと言いますと。

答えは、『ノー』です。
彼らにとっての唯一のモノを奪うことは、許されないと考えます。

ただ……ただ、ですね。
奴隷は意志のないほうが、幸せだとは思うのです。

自らが何をしなくてはならないのか。
自らにその力があるか。
自らが奴隷の境遇になっている原因は何か。
それはどのようなモノか。
何をすればそれを除去できるか。

……と言ったことを、意志があると。
少し考えれば、分析できてしまいます。

そしてその際。
原初に立ち返ると−−彼ら自身では、どうにもすることができないことだったりするのです。

動くための脚が、絶対に壊れない重たい鉄球に繋がれている。
手枷をされている、気付かれたら殺されると分かっている。

そして、労役に必要な最低限の栄養しか与えられず。
自らの意志を剥奪しようとさえ、支配者がしてきてその邪念と闘い続けている−−とか。

それで誰が助けられるのか、と言うことは。
自分自身しかいないと言うことを−−意志のある人ほど、遅かれ早かれ気付いてしまいます。

そのときの絶望感を。
知っている人でなくては−−そして、絶望した人を見た人でなくては。

このブログ記事の、序文のようなことは。
決して理解できないと、断言してしまいます。

少なくとも、僕が生きてきた矮小な世界では。
そのように、感じるのです。

−−ですから、僕は。
すいも甘いも経験しろとか、荒波に揉まれてこいとか、可愛い子には旅をさせろとか、言って−−あとは任せたと無責任に突き離し、失敗する未来しか見えないほうに向かわせるオトナが……唾棄するほど、大嫌いです。

文章にしてしまうと、取り返しがつかないでしょうし。
ここがただの掃き溜めになるなんて不本意ですが−−『ルーン使いの言の葉』の原初に立ち返って、書きます。

そんなオトナなんて、絶滅してしまえばいいのに。

……なんて。
あー、本当に嫌なくらい思い出しますよ。

僕が、『ルーン使いの言の葉』を立ち上げたときの。
鬱憤の溜まっていた時期も−−この世をぶっ壊してやりたい、と思っていたときも。

今以上に、厨二だったときの気持ちも。
みんな−−思い出しちゃいましたね。

僕は毎度、こう言った怨みや憎しみや怒りを。
原動力に−−生きてきたんでしたね。

告白します。
僕は、ずっと−−そう言った感情に支配される、奴隷でした。

やっとそれを。
忙殺されているときだと言うのに、思い出せました。

いま、エネルギーが満ち満ちてきているのです。
灯が点いて、頑張るための意欲に全部昇華してもまだ余ってしまうくらいの。

ですから。
ですから……もっともっと。

頑張らないと。
やるべきことを、やらないとですね。
posted by バロック at 16:26 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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