ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2017年02月18日

それは清流のごとく

絶対、と言うモノを特に信じない人だったりします。
そんなモノはまず、存在しないであろうと。

悉有仏性に於いても。
森羅万象に於いても、と。

どれだけ正確なモノで観測されようとも。
定義が変わったり、過てば−−それは、間違いとされる。

と言うのは。
それらは絶対ではなく、相対だから−−と、言えます。

悉有仏性は、絶対ではなく。
あくまで相対である−−と、僕は思うわけですけども。

それはなぜか、と言いますと。
唯一、絶対と言えると考えているモノは−−自らの意思、だからです。

自らが信じないモノは、決して当たる占いにはならず。
自らが信じるモノは−−周囲から見ればよほど滑稽でも、確実に当たります。

自らの意思に基づいて、それを。
信じるか信じないかを、決めるからです。

信じた結果、違うこともあります。
そんなときに、今まで信じていたことを棄却することがありますが。

それにつきましては。
別にいいんじゃないかと、思うわけです。

信じていたモノは、相対的なモノで。
絶対的な立場で観測していた自らが見る場所を変えた結果−−別のモノに見えてしまった、ただそれだけだからです。

それは、自分の意思が絶対だからではないと言うことではなく。
あくまでも、信じていたモノが絶対ではなかった−−と、言うだけじゃないでしょうか。

アイデンティティが崩壊してきている人は。
どうやら、こう言ったモノが揺らぐらしいのです。

もしくは、盲信ないし過信をしすぎて。
足元を、救われたりと。

信じなさすぎるのも、信じすぎるのも−−己を滅ぼす原因に、なっていきますね。
ありのままを、捉えなくてはと。

−−と言うところまで。
なんとか、快復できた気がします。

あと、もうちょっとです。
明日までに、催促されている原稿を仕上げます。
posted by バロック at 20:52 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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