ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2016年10月12日

ロックかく語りき

眠いときに眠って、食べたいときに食べる。
と言うのは、かなり幸せなことなのですけども。

それは、欲求に忠実になっているからであって。
欲望を自制しているからこそ、得られるモノと考えております。

前者は、必須のモノであって。
後者は、必要に応じて任意に準備すべきモノ、と言う認識です。

したいのか、欲しいのか。
この違いによると、思うのですが。

では、それらはどう違うのかと言いますと。
主体が自分自身にあるか、それ以外にあるかーーの違いだと、何となく思っている次第なのです。

僕にできることであれば。
欲しい、なんて思いませんし。

僕にできないことなのに、したい……とは。
少なくとも、僕は思わなかったり。

……あ、これは状況によりけりかもしれませんね。
実際に今、できる状況でーーと言う、意味なのです。

自らに主体性があるか否か、ですゆえ。
欲求と欲望では、希った際の疲労具合が違うんだよなぁ……なんて、思うわけなのです。

人間の三大欲求の基本的なことが。
自ら処置を施して満たすことができることを思うと。

そして、欲望と言うモノが。
たいていは、ナニカかナニモノかを介在しなくては成立しないことを考えると……少なくとも僕には、頷けたりするのです。

無論、これは僕の主観であって。
自己満足の類からは、逸脱すらしないのですけども。

僕が、こんなことをしても疲れないのは。
欲求に、忠実になっているからに違いないのですよ。

天職、と言う言葉がありますが。
欲求に忠実になって行動した対価を戴くモノと、僕は認識しております。

周囲から、『天職』と言う扱いを受けるよりも。
自ら「天職」と判断したほうが、正しいに決まっているわけでして。

それは、主体性があるからこそ。
自らの判断に疲弊することがないから、だと考えるのですよ。

それは、自然なことですし。
誰かに決められてやらされることなんて、楽ですが楽しくはないじゃないですか。

そんなの、疲れてしまいますよ。
自分のリソースは、自分自身で守らなくては。

なんて。
筆が乗ってきたので、もっと書きたいのですが。

今回は、この辺にしますね。
よし、お仕事に行ってこないと。

posted by バロック at 15:37 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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