ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2015年03月01日

強い人

たまに、思うことがあります。
強い、とはどう言う意味なんだろうって。

攻撃だけが強みのかたもいれば。
鉄壁なくらいな防御が強みのかたも、いらっしゃいますね。

どちらも確かに、強みであって強さ、ですよね。
それは確実に、強くなるための伏線になると思いますーー何が言いたいかと、言いますと。

強い、と言うことは。
一部分だけそうだと、修飾語にしかならないんだろうなーーと、言うことでして。

本当に強い人って。
普通レベルの人が見ていたら、穴がないように見えるんじゃないでしょうか。

そして、その穴が自分自身にしか分からなくて。
それを打ち明けても、理解されないようなーーそんな人が、強い人なんじゃないだろうかーーって、思うわけです。

とは言いつつも。
じゃあ、強くなることはよくないのかーーと言えば、そうではないと思うんです。

攻守に於いて、強くなることは悪いことではないですし。
それこそ、向上心のある人間は当然のように通過する道だと思いますのでーー僕は、そうなることを推奨したいとすら、思うのです。

ーーですが、これって。
強くなることへの肯定でしてーー弱いことへの否定では、ないわけです。

弱い、と言うことはまた、問題ではあると思うのですが。
弱みがあることは別にーー否定すべき材料ではないと、考えます。

そうじゃなければ。
強者はいつまで経ってもーー孤高、ではなくーー孤独のまま、です。

理解者は、あるべきです。
ではないと、強者はそれ以上強くなれずーー寧ろ、弱くなることでしょうから。

ーー皆さんは、数学がお好きですか?
……いや、変な目で見ないでください(苦笑)。

今から急に、フェルマーの最終定理についての講義はしませんよ。
楕円関数とかモジュラーの話もしないのでーー安心して読み進めてください。

とは言いつつも。
数学の話に、ちょっとだけなります。

なぜ、強者に理解者がいなければいけないのかーーですけども。
それはーー強者にとっての日常がどれだけ一般人にとっての異常でもーー強者にとっては、普通だからです。

地上に住んでいることが普通な人は、高地に住んでいる人を高く見上げることにはなりますけども。
別に、高地に住んでいる人は自分の住まいにいる間ーー高くは見上げないでしょう、と言うことでして。

なぜなら、高地にいる彼らにとってそこが、普通だからです。
低地より寒かろうが空気が薄かろうが、関係ないんですよね。

彼らには、そこのレベルが普通なんです。
±0ーーなんですよね。

ーーやっと、話が戻りました。
これは、強者にも言えます。

彼らの基準は、一般人には尋常じゃないトコで±0ーーなんです。
じゃあこれ以上、強くなるにはどうするかーーですよね。

皆さんはーーあなたは、このような経験がありますか?
友人ができてからーーないし、社会に出てからーー見える世界が変わった、と言うことは。

あることを前提で、お話しようと思うんですけども。
それは、基準点以外のストライクゾーンが、できたからです。

様々な価値観を学んで、咀嚼するわけですから。
そりゃあーー見える世界も、変わっちゃうんです。

弱者にとっては、それは強者でしょうし。
強者にとってはーーまた別次元の強者ーーつまり、理解者ではないとーーそれ以上の向上は、見出せないんですよね。

そもそも。
人『間』であるからには、そうでなくてはいけないと言いますか。

間主観性あっての、人間だと思います。
孤高とは、周囲の人がいるからこそ成立するわけでーーそれがなければそれは、孤独ーーなんですよね。

ーーあぁ、『ジンカン』と言う元々の語源から外れて態と、お話しております。
語源から追求しない方が話しやすいこともあるモノでしてーー不悪、なのです。

さてと。
じゃあ、僕の中で『強い人』とはどんな定義なのかですけども。

やっぱり。
そうですねぇ。

弱みを見せても尚且つ、強い人ーーでしょうか。
今現在の音色ちゃんの定義は、そんな感じなのですー……ちゃんちゃん。
posted by バロック at 02:28 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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