ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2014年11月14日

常識?

久々の、『自己紹介』のカテゴリでの更新ですけども。
僕は随分と頭を悩ましていることって、まだまだありまして。

例えば、僕には。
常識がなかったりします。

とは言っても、倫理は人一倍ある自信があるのですが。
あくまで、主観ですね〜

……まぁ、だからこそ。
僕がその場で他の人ならまずしない行動をして咎められると一先ずはきちんと、反省することができます。

倫理がなければ、それは無理でしょうけども。
僕はそこら辺、何とかなっているみたいでして。

そもそも、『常識』って、なんなんでしょうね。
常に識っていること、ですよね。

そんなモノって、共通認識であり得ることなんでしょうか?
ゆえに僕は、誰かに常識を押し付けることを嫌いますし、逆に押し付けられることなんてのは論外なわけですけども。

まぁ、そう思っていれば。
そりゃあ、常識はないだろう――なんて、思うわけでして。

そこで再度、質問なのです。
『常識』って、なんなんでしょう?

そのとき、その場合、その場所。
それで変わる概念を、果たして『常識』と言っていいモノなんでしょうか?

僕には、分からないです。
そのことについて議論できる仲間が今のところ、すぐ傍にいないですから。

啓蒙ってモノも、相手がいての有価値ですから。
独りで啓蒙って、できないんじゃなかろうか、なんて。

できるとしても、灯台が必要ですよね。
『常識』と言う概念は『灯火』のようなモノなんじゃないかと、僕は認識しています。

灯っていないと、いけない。
無機物じゃ、いけない。

そう、僕は思いますね。
じゃあ、人々が口々に喋る『ジョーシキ』って、本当にそんなモノなんでしょうか――なんて、考えもしますが。

僕には、彼らから発する言語としての『ジョーシキ』を。
『特定集団に都合のいいように作られた考え』くらいにしか、読み取れないです。

人はそれを、『正義』と言うかもしれませんし。
それを語っている『ルーン使いの言の葉』も――正義――なのかも、しれませんけども。

一義的には、なんて言葉もあるとおり。
実のところ、正義なんてモノはいくらだってあるんじゃないだろうか――とは、流石の僕も思いますが。

“正義の味方”ってのが、いたとしても。
それって、善悪の基準で測ったら、意味がないんじゃないでしょうか。

正義は、人の数だけあるでしょうから。
ただ、仲違いをしているだけなんじゃなかろうか、と。

で、実際のところ。
僕自身は、誰かにとっては正義であって、誰かにとってはそうじゃないでしょうけども。

僕が“僕”にアイデンティティを抱いている間は。
まぁ、僕の正義が一番正しかろうなんて、そう思うしかないんですよねん。

丸くなるか、玉砕するかは。
僕の、運次第――そうも、思っていますよー

まぁ、玉砕はしたくないですね。
15歳の冬で懲りましたから……まぁ、そうですね。

そこら辺もじっくりと、吟味していけたらなぁって。
そう、思っておりますー……で、結論。

僕には倫理はありますが、常識がありません。
誰か上手い生き方を、教えてください――なんて、冗談ですよ(苦笑)。

今の処世術を、失いたくはないですから。
んー……角が取れるような方向で、やっていこうと思っていますよ。

そのために、できることはいくらだってやっていかないと。
そう、決意したところで……さてと。

今夜はもう、休みます♪
ではでは〜☆
posted by バロック at 00:11 | Comment(0) | 自己紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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