ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2014年10月15日

言葉

今回のカテゴリは『日記』で更新しようと思っていますけども。
ちょいと『黒事実』や『自己紹介』の要素も入ってくると思います。

何しろ、今回は。
僕が最も畏怖するモノについて、お話しようと思っているのですから。

それは――言葉です。
『ルーン使いの言の葉』のお話の題材としては、格好のモノじゃないでしょうか。

とは言いつつ、学術的な話はちょこっとしか出ないと思います。
まぁ――少しはするかも、ですけども。

そうですね、一先ず。
お話を、始めましょうか。

皆さんは――言葉について、どう思っていますか?
どのように、考えていますか?

好きなかたもいらっしゃるかもしれません。
そうでもないかたも、いらっしゃるかもしれません。

はたまた。
嫌いなかたも、いらっしゃるのかも、しれないですね。

確かに、自らの感情に結びつけるには。
言葉、というのは少々、中性的かもしれませんね。

何にでも、化けることができますから。
誰かを救い、誰かを貶し、誰かを昂らせ、誰かを地の底へと叩き付ける――それが言葉だと、僕は思っています。

その、どこが中性的かと言いますと。
だって――そんな極端なモノが混沌と存在しているにも拘わらず、相も変わらず言葉は存在し続けているじゃないですか。

淘汰なんてモノも、滅多に起きません。
さながら、幽霊のように。

世界をやっぱり、支配しているように思います。
北野武監督は『この世は数学でできている』と仰っていた記憶がありますが――それももちろん、正解だと思います。

無意味に見えるモノも、実のところ調和のとれた数式と化すことができるようなモノが、多く存在しますし。
それに、数学は定数だけではなくて変数でさえも定義できるので――やはり、彼の言うことに間違いはなさそうです。

――しかしながら。
数学を構築するモノにはやはり――言葉が――あることは、事実ですよね。

これは社会学では有名なのですが。
グリセリンの結晶を作ろうとしていて、誰も構築できなかったときに。

誰だったかは、忘れてしまいましたが。
グリセリンの結晶化に成功したかたがいらっしゃったようです――すると。

それを知った研究者が、世界各地でいたのですけども。
次々と、グリセリンの結晶化に成功していった――と言う事例が、あります。

恐らく、研究しながら彼らは、こう思っていたのかもしれません。
グリセリンの結晶化なんて、できるわけがない、と。

ところが、結晶化のパイオニアが出現した。
あぁ、できるんだ――そう、彼らが認識していく。

その前提のもとで、研究を進める――ことができたなら。
そりゃあ、グリセリンの結晶化ができるようになる人達がたくさん出現しても、おかしくないと言いますか。

前提が、あったと思うんです。
できるか、否か、の。

それが、できると確信を持てたと。
何故なら、成功譚を知ることができたから――と。

すみません、思いっきり学術の話になっちゃいましたが。
言いたいことは、ざっくりとこんな感じです。

言葉が世界を、支配しているんじゃないだろうかと。
それに音が相まって、世界を構築しているんじゃないだろうかと。

……僕、不思議に思うことがあったりします。
クラシックが苦手なかたって、いますよね。

何でかを訊けば、大抵は「つまらない」と返ってくるんですよね。
じゃあ何でつまらないのかを訊けば、大半は「ノリが悪い」のように答えるんですよね。

そんな彼らは、ポップスに関してはそんなに悪い印象を持っていなかったりします。
ここまでは、予想通りです。

――なのにも拘わらず。
彼らは、ミュージカルが苦手だとも、答えます。

それが何でかを訊けば、こう答えるかたがいます。
言葉で喋ればいいのに歌う必要があるのか、と。

じゃあ、台詞をただ聞けば面白いのか、と訊くと。
つまらない、そう答えるんですよね。

これは、かなり矛盾していますよね。
結局は自らのエゴが勝ってしまっているだけなんじゃなかろうかと。

自らの世界に存在しないモノは、認められないと言う。
これはモロに、グリセリンの結晶化のお話にも絡むのですが――つまり。

言葉を知らない、知ろうとしない。
音が分からない、分かろうとしない。

そんな彼らが、今後。
世界に淘汰される人材なんじゃなかろうかと。

そんなことを思いますが。
多分、このことについて僕は――論文を書かない――と、思います。

だって、あまりにもこれじゃあ、左翼すぎるじゃないですか。
……んー、別に僕は元から鷹派ですから、書いてもいいんですけども。

それで誰かを淘汰することになるモノであれば、自粛したいトコです。
提出できたとしても、『ただの妄想』として片付けられたらいいなぁとも、思います。

基本的に、僕が鷹派でありたい理由は。
結果的に全体の士気が上がって、僕自身が嬉しいと、思いたいからですし。

たくさんのかたが淘汰されて、僕が哀しむことになったら、意味がないんですよね。
そんなことを――個人的に『ユグノー』とか『バロック』って言葉が好きな僕は――思ったり、しちゃいます。

まぁ、そうですね。
妄想が今回も先行してしまいましたが、やっぱり主張したいことは。

言葉って、すごいなぁって。
そんな趣旨の、日記でした。

さぁて。
明日も頑張ろうっと。
posted by バロック at 19:04 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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