えっと。
銀行にあるのが、これくらい。
で、2週間後に――あ、大丈夫だ。
ちょいと、経済状況を整理してみました。
まぁ、それが今回のブログ記事の本旨ではもちろん、ないわけなんですけども。
小説の進捗具合ですが。
本日より少しずつ、主人公と取り巻くかたがたに毒を注入してまいりますので――ちょっと僕も、くらくらしてきていたり。
僕は基本的に、嘘を吐けないですから。
書いたことは実際に、身体ないし精神に来ますから。
ただ、今書いている部分はかなり、キツいですね。
たった原稿用紙換算枚数にして16枚くらいの部分にモロ、僕のトラウマティックな部分が入りました。
僕が小説を書くときには大抵、痛みが伴います。
外科手術みたいなモノですから、これは。
解毒とも、言えますけども。
一度でも毒されたことのあるかたなら、その解毒作業が如何に苦しいモノかはご存知のことと思います。
かなり、苦しいですよ。
ですが、これくらいじゃなければいけないんですよね。
……僕の小説を書くことに対する揶揄を載っけると、あまりにも卑近ですから。
吹奏楽部によくある揶揄を、例に挙げたいんですけども。
運動部から、こんなことを言われるそうです。
いいね吹奏楽は楽で、と。
何でかと訊けば、こう言うみたいです。
ただ座って吹いていればいいんだから、と。
冗談のような、本当に色んなトコで見聞きする話です。
無論、僕はそれに対して遺憾の念を持つわけでして。
ですが、対岸の火事なんてそんなモノです。
人って基本的にバカですから、経験して学習しないと分からないんですよ、そう言うのって。
とは言っても、それは。
未経験だから許されるってわけでは、ないんですよね。
未経験でも疑似体験するための、教育ないし養育だと僕は、思っているんですよね。
だからこそ学校は大事ですし、家族間のソレだって非常に重要なわけで――何が言いたいかと言いますと。
そんな想像力を養成しない『学校』とか『家族』に果たして、何の意味があるのだろうかと。
そうは、思いませんか?
本当に愛情を与えることができているならば。
愛情を剥奪されたときのことも仮想できる筈なのですが、それは――違うんでしょうか。
別に、本当に剥奪することはしなくていいんですよね。
そんな世界も見せることが必要だ――ってだけで。
それをしないでいて、『きちんと育ててやったのに』とか『誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ』って言うのはあまりにも、理不尽と言いますか。
親が子を擁護している限り、子どもの行いは親が“連帯して”責任を取るべきだと、思いますけども。
あ、もちろん縁が切れているなら話は別ですけども。
まぁ、脱線でした。
心のない人間が、やっぱりこの世には多いですから。
僕はどうせなら、そんなかたにも心を注入できるような小説を書けたらって、思うわけで。
皆さんって、真珠がどうやったらできるか、知っていますか?
特定の貝に異物が混入することで、時間をかけてできあがるんです。
その結果、あんな綺麗なモノができあがります。
じゃあ……そうですね。
僕も真珠と化す異物と相成らんことを。
そう、思うわけでして。
……あぁ、ちょっと図に乗りましたね、すみません。
でも、本心ですね。
揺さ振ることのできる、表現を。
これからも常に、心がけていこうと、思います。
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