ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2014年08月29日

アレキシサイミヤ

感情喪失のことを、アレキシサイミヤ、なんて言ったりしますが。
これって、感情の抑圧が起こっていると言うことでよろしいのかと。

塞ぎ込んでしまうと言うこと。
この脱却方法は、個々人で違うと思うのですが。

叫んでみる、とか(しかし重度のかたは声を出すのもつらいが)。
動いてみる、とか(しかしそれができれば苦労はしない筈だが)。

他にも、好きなことをするとか。
芸術を嗜んでみるとか、あるのですが。

つまり何が言いたいかと言いますと。
今現在、僕がそんな状態だと言うことでして。

ほら、いつもより文章のノリが悪いじゃないですか。
あと、矢印とか音符とか使いませんし。

こんなときは、文章を書くのに向いていないので。
書かぬが吉なのですが――『ルーン使いの言の葉』の更新は趣味であり、義務ですので。

因みに。
何でこんなに落ち込んでいるのか、さっぱり分からなかったりします。

使い古された言葉を使うならば。
胸にぽっかりと穴が空いたような、そんな心地でして。

なんでだろう。
そう思うたびにまた、塞いでいることに気付いて、『ルーン使いの言の葉』を書き始めました。

僕の場合は、延々と塞ぎ込んでしまうタイプですので。
こうやって文章にすることは、方向性としては悪いことではないと言う自負があるんですが。

本日はちょいと、重症の予感ですね。
何か、きついです。

昨日、仕事に向かう際。
実は僕、自転車を漕ぎながら意識が吹っ飛びかけたんです。

久々の感覚。
久々の、浮遊感。

煙草を吸ってニコチンを摂取したときって、酩酊感を催すみたいですね。
僕は喫煙者じゃないので、知らない世界なんですけども。

多分、それに近い感覚でしたね。
確実に、死に向かっているような感覚。

あぁ、因みに。
僕は今のところ、死んだら困ることばかり抱えているので、死ぬ予定はさらさらないのですけども。

死ぬかもしれない。
あぁ、死ぬんだ。

そう、思うことは数え切れないくらいあります。
死ぬことを覚悟することは実のところ、幾星霜の如く、経験してきました。

幸せなときも。
不幸なときも。

同じくらいに、過ることです。
身体はそうならないけども、精神がそうなる――と言う経験も、何度も。

たまに、こんなことも起きます。
生きているのか死んでいるのか、分からなくなることが。

僕の知っている用語では、離人症が典型ですけども。
それとは何か、違うんですよね。

離人症は、確固たる自我があやふやになっていますが。
僕は自我があやふやになるのではなく、認識している世界があやふやになる感じでして。

場違いな気がしてくるんですよね。
そんな空間に――僕はずっと、いる気がして。

アットホームな世界って、あると思うんですけども。
僕はそんな世界を、あんまり知らないんですよね。

家にいて、僕が感じてきたことは。
ここは僕の居場所じゃない――と言うことでした。

家庭教師のお仕事をしていると、自分のことではなくても。
教え子が、自分の属している家に居場所を感じているかどうかが、分かってくるようになります。

あぁ、この子もか。
そう思うたびに駆け巡る憂鬱感を抑圧して、授業をすることも多いのですが。

僕は、そんなことも耐えられないんでしょうか。
大学で僕、何をしてきたんでしょうか。

なんて、アイデンティティの拡散をしないまでも。
アイデンティティを攻撃してしまうくらいには、僕は参っちゃっているみたいだ――と言うことは、今回のブログ記事を書いていて思いました。

明日は、いつものように仕事が入っていますので。
立て直します。

皆さん、本日は本当に申し訳なかったです。
次回までに何とかしますので、本日のこのブログ記事についてはご容赦を。

また明日です。
ではでは。
posted by バロック at 15:43 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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