ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2014年08月10日

夢から覚めるとき

僕自身は、こんなことを思ったりします。
夢から覚めるときのシチュエーションは、大きく2つに分けられるんじゃなかろうかって。

1つは、夢だと言うことを悟ったとき。
そしてもう1つは、それが叶ったとき。

前者は、簡単に言ってしまえば。
夢見の際に、『あぁこれは夢だ』って思うことですね。

僕自身は、あんまりこの経験を最近はしないんですけども。
二度寝した記憶があれば、非現実的なことを夢として見ているときに「あ……」と、気付くことがあります。

そして、気付いてしまうと。
もうすぐ夢から覚めることが、分かってしまうので。

そのとき、夢の中で好きなことをしますね。
主に、欲望に塗れたことを。

どんなモノかは、えげつないので言えませんけども。
えーっと、本当に文章として書いてしまえば皆さんの目が腐ること必至ですので←

さてと。
じゃあ、後者は……ですけども。

夢が叶ったとき、ですね。
僕は常に所感としてあるんですけども、夢って通過点だと思うんです。

叶えるために、夢見る。
欲するために、夢見る。

……ならば。
それこそ懸命に願うでしょうから。

叶えるまでは、諦めないでしょう。
そんじょそこらの、簡単に匙を投げられる夢があるとすればそれは、夢じゃなくて幻想じゃないでしょうか。

そんなことを思ったり。
さて、何が言いたいかと言いますと。

夢は、通過するための目標ですから。
また新たな夢を見るために、以前は『夢』だったモノは朽ち果てるが定めなんじゃないかなぁって。

そう、思うわけで。
夢が叶ったのにまだそれに執着しているとしたら――それは叶えたんじゃなくて、叶えている途中なんじゃなかろうか――って、思うわけで。

……。
…………僕の口癖にさっき、気付いたんですけども。

『思うわけで』って言葉を僕、濫用しまくりですね。
と言うわけで、『思うわけで』をタグに追加っと。

さてと。
夢が、叶えるためのモノだと仮定するならば、やっぱりそれが通過点になるのもしゃーないんじゃないかと言う、僕の勝手な持論だったわけですけども。

僕は、夢って何度見ても自由だと思いますよ。
それどころか、何度でも見たらいいと思えますし。

今の夢が叶ってしまったから、もうやることがない。
……そんな人もよく見かけますけども、僕はそれは違うと思っていて。

夢から覚めるから、現実を謳歌できるんです。
そして現実を謳歌できたからこそまた夢を見ることができるんだと、僕は思うんですよね。

僕の嫌悪しているけども敬うしかない人に、精神分析学の祖であるジークムント・フロイトって人がいるんですけども。
彼曰く、『夢は願望充足である』だそうで。

僕、本当にこの考え方が嫌いなんですけども、ぐうの音が出ない話なので……今回も用いますが。
んー……

願望を夢見て、それゆえに現実で努力をし。
それゆえに夢をまた見て、現実に活かす。

そんな、輪環構造を取っていても、いいんじゃないかなぁって。
輪廻転生、解脱、煩悩即菩提、生死即涅槃……まぁ、僕は仏法哲学が好きなのでそんな言葉がさっきから出てくるんですけども。

別に、ニーチェみたいに思ってもいいと思いますよ?
『これが人生か、ならばもう一度』みたいな。

狸と狐の化かし合いでも、別にいいと思います。
そんな、清濁併せのむようなモノが現実ですから。

だったら、そこから脱する夢だって見てもいいと思いますし。
その夢が叶ってしまったら、次の夢を見ればいいと思うんです。

……僕の今現在の見解は、こんな感じなんですけども。
んー……なんか、しっくり来ないですね。

どこかが間違っているのか。
僕の本質とまた、話している内容が一致していないのか。

そこも踏まえて、これからも頑張らないとですね。
やれるだけのことを、もっとやらないと。

……あ、そうそう。
明日は予定だと、免許センターに行ってきて学科試験を受けてきますが――予感だと、あまり芳しい結果は出ないです。

まぁ、やれるだけやってみます。
明日はいつもよりも起きている時間が長くなるのでつらいですが――できるだけのことを、やるまでですね。
posted by バロック at 16:03 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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