ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2014年06月18日

そんなモノはあるんだろうか。

何てことのない話なんですけども。
僕に興味のないことって、あるんだろうか、と。

接点を持ってしまうと基本的に、関心を持ってしまうタイプですので。
つまり、すぐに興味を持ってしまうと言う……何とも、厄介な(苦笑)。

そんな僕が、興味を持たないようにできる唯一の方法が。
とことん突き詰めて、飽きるまで考えるってことだったりします←

接点があまりないことであれば、想像を膨らませようにも材料があんまりないですから。
失敗したカラメル焼きよろしく、萎んでどうしようもなくなってしまいますので。

その際、僕が思うことは。
よし、デウス・エクス・マキナだ!……ってことなんですけども。

つまり、合理化。
否、合理的解決。

……そうするしか、ないじゃないですかー
何とかシシュフォスの岩の如く、思考の資源を無駄にするくらいなら――切ってやらないとって。

要するに。
もういいわー、飽きました、だからその案件はもういいですー……って思うと言うことなんですけども。

……好奇心ってのも、考え物です。
世の中には、首を突っ込まない方がよいモノも、確実にありますのに。

そもそも、余計なモノに首を突っ込んでしまうのは、好奇心の塊の性――って言いたいところなんですけども。
ただ単に、経験不足ゆえの失敗とも、言えるわけでして。

ちょっと痛い目を見て、すぐに引き返せるならいいんですけども。
つまり、三十六計逃げるにしかずってことが分かっていればいいんですけども――何が言いたいかと言いますと。

退却する手段があることを用意してから興味を持たないと、それはある意味不幸だ――と言うことですねー
そしてそれを用意できないで首を突っ込む人の大半が……そのやり方を毛嫌いしているか、そのやり方自体を知らないかの、どちらかですよね。

いや、アンテナを張り巡らせること自体は、悪くないんです。
ただ、引き際が分からないだけで。

僕は、自分に手に負えないモノに出会したら、逃げてもいいと思いますけどね。
特に、興味関心の分野に於いては、特に。

……あ、学校とかは割と、興味関心のある人間にはウェルカムでやっているトコが大半だと思うので。
好奇心の塊のような人間は寧ろ、優等生扱いされるかもですが――そうやって優遇されている間に、『入ってよい領域』と『入っちゃいけない領域』を見極める力を付けることができるか否か――それが、要だろうなぁって思うわけで。

そこを教えてくれるオトナって、本当にいないんですよね。
「やめておけ」とは言っても、何でダメなのかを言わなかったり――「やれ」とは言っても、何でそうなのかを伝えなかったり――みたいな。

僕、今さっき。
ゆとり世代の鑑のようなことを申してしまいましたが。

どの世代にも、言えることだと思いますね。
根拠のない、ただ方法を常にその通りに“考えなし”にやっていればいい――なんて時代は、とっくに終わっているだろうし――と言いますか、そんな時代があったとすれば「それは気のせいだ」と、僕は思いますー

……んー、確かに。
ゆとり教育は、なんだかんだで悪く言われていますけども。

今後の教育方針とか、人材育成をしていくための貴重なサンプルになったんじゃないですか?
それを活かさないなんて、本当にゆとり世代を『失敗作』扱いしていることと同義だと、思っています。

……こうやって書いているときに、ゆとり世代は怒ってもいいと思うんです。
何で自分達を実験材料みたいに書いているんだ、この性悪ぐだぐだ男っ!……みたいな。

ですが、それは仕方ないですよ?
日本人として生まれたからには、国にはデータを採られますし――ましてや、地球に生まれちゃったら、ねぇ(苦笑)。

こんなとき、利用されることを嫌がる人がたくさんいますけども、僕は寧ろ逆ですね。
上手く利活用してくれるなら、悪くないと思いますし――ただ、少しでも悪用するなら容赦しないぞ〜……って姿勢です。

そのくらいしないと、やってられないんじゃないかなぁと。
まぁ、詭弁かもしれないですけども←

で、話を戻しますけども。
まぁ、引き際さえ分かっていれば、基本的に興味関心を持ってもいいんじゃないかなと。

僕も、今までの人生で(と言っても、24年弱だけども)、色んなことに首を突っ込んでは狩られそうになりましたが。
んー……運がいいからなぁ、その辺りは。

正しい方法論を以て勉強すれば成績が伸びるように。
正しい倫理観を以て生きていれば、運のよさなんて後から付いてきますよ?

騙されたと思って、やってみましょう。
姿勢をよくしてしまえば、大抵は後付で『やったら得すること』が分かってきます。

それは、人の接し方だったり。
人が見ていない(であろう)ところでの、普段の行いに反映されます。

で、不思議ですけども。
人の評価って、誰も見向きもしないようなところでどんなことをしていたかでだいぶ、傾きますね。

それで何か、こちらに笑顔を向けてくれる人が増えた。
何故か、ツンとされることが多くなった――って、ありますけども。

ハッキリ言ってしまうと、必然ですよ。
自分でも気付かないところで、誰も見てないような、感じてもいないようなところでフィードバックされた評価が、そのまま相手の態度だと思っていいと思います。

何か周りの人間が冷たくなった気がしたら、こちらが借金返済するかの如くきちんとやるしかないんじゃないかなって。
それでずっと続けてダメだった――って思うのは、例え一生涯抱えて出した結論だとしても、早計すぎると言っても過言ではないと思います。

属している世界の風向きがおかしいときには。
観測者の羅針盤が狂っていることのほうが、確率としては高いですね。

と言いますか、そう思った方がいいんですけどね。
認識している世界を変えるよりも、自分自身の認識や行動を見直した方が、簡単ですから。

それで全く手に負えないときに、助けを呼べばいいと思いますよー
そこまで手を尽くして助けを求めれば、その声は大体のところ、届きます(最初から他力本願で助けを求める声とは、物理的にも心理的にも質量も熱量も違いすぎますから)。

それで見向きもしないような人間であるなら。
――それは、人間として如何なモノだろうかとも、思いますねぇ……まぁ、こう言う話にしてしまうと長くなってしまうのは目に見えてましたが、本当に長くなってしまいましたねorz

と言うわけで。
半ば強引に、今回のブログ記事は打ち切りまーす♪
posted by バロック at 18:50 | Comment(0) | 興味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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