ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2014年06月16日

理由

よく、『理由はない』と仰るかたがいますけども。
僕はその返答に――如何なモノか――と、思ってきました。

あとは、理由が言動と矛盾しているタイプ。
これはちょっと、理由なしで何かやっているタイプよりもやりにくいですねぇ……

理由なしでやっている人は、あとで理屈が付いてくる可能性がありますけども。
理由と言動が矛盾しているタイプは、そもそもの認知の仕方と認識の具合を間違えているので――その後の展開も、読めないですよね。

で、あとで理屈が付いてきても。
その理屈自体の筋が通っているか否かは話が別ですし――そも、筋が通った人間が理由なしに行動するとも思えないので――やっぱり、両者ともにやりにくいなぁって思うわけで。

で、何が言いたいかと言いますと。
ここで、本論なんですけども。

僕がやっていることにも、きちんと理由があります。
と言いますか、目的があります。

例えば、僕がネットビジネス――今なら、物販――を始めた理由は。
学術研究ないし文筆業を営むにあたって、どうしても資金源を確保しなくてはならないからです。

例えば、僕がブログ――ルーン使いの言の葉――を始めた理由は。
学術研究ないし文筆業を営むにあたって、文章スキルの精度を更に上げる必要があったからです。

もう一例を挙げると。
僕が自己投資をやめない理由は。

面白いから、楽しいから――と言うのは言わずもがなでして。
それをすることによって、表現媒体により一層の理解と深みができていることを味わえるから、です。

だから、面白い。
だから、楽しい。

言葉なんかは、顕著ですね。
無闇やたらと流行りの言葉を意味も分からず使うのと、意味合いを熟知した上で使う言葉では――物理的ないし心理的な質量が――全く違いますよね。

……えっと。流行りに惑わされた人の言動って、無様ですよ?
その場凌ぎの言葉を濫用する人には、その場限りの人しか付きませんから。

そうするとどうなるかと言いますと。
薄っぺらい人間関係しか、構築できなくなります。

そしてそんな人間に限って。
仲間や友達の存在を強調し出して、挙げ句の果てにそれを他人に押し付けますね――いい迷惑だと、思いませんか?

彼らは、薄っぺらい人間関係しか知りません。
その彼らが仲間や友達の存在を強調し出してそうすると言うのは――他人に、薄っぺらい人間関係を構築しろと、唆していることになります。

彼らにはそのような認識しかないので、悪意はないかもしれませんが。
理由なしの無目的な人の使う言葉ってひどいなぁ――と思う、と言うところでやっと、話が戻りましたね←

それを知っているからか、知らなくてもそうなることが薄々分かっているからか。
僕には理由なしで行動する――と言うことが、できなくなりました。

しようと思えば、できるかもしれないんですけども。
先にも申した通りの“理由”で、それにはかなりの勇気がいりますね。

……勇気と言うか、蛮勇、でしょうか。
僕は基本的に考えていることが物騒なので、思考自体はできますけども。

行動に移すことは、できませんね。
やったらそれは、逸脱行動に他ならないですから。

……話はまた、脱線しますけども。
僕は思考するだけに留めるのであれば――どんなことを思ってても、いいと思いますよ?

頭の中で、どんなに野蛮なことを思おうとも。
やっていいことと、やったらいけないことの分別が付くなら――と言う条件付きですが――僕は、どんな想像でも妄想でも、していいと思っています。

背徳的なことを思ってしまった自分自身を責めている人を、僕は経験上たくさん見てきているんですけども。
それを思ったことに罪があるのではなく――それで自分を責めている“行動”そのモノが、罪なんじゃないか――と、思うわけで。

誰かに言ってしまう(つまり、行動する)から、「そんなことを言っちゃいけない」って叱られるわけで。
――でも、最近の言葉は乱れているので、「そんなことを“思っちゃ”いけない」って台詞で叱っている人もいますね。

ハッキリ言って、そう言うのを『言葉の乱れ』と言うわけで。
オトナでさえ、その分別が付かないから――いつまで経っても、その連鎖が止まらないんです。

世代が違うから、何なんでしょうか。
流行りだから、何なんでしょうか?

言葉が乱れているうちは――分別が付かないうちは――まっすぐな人格形成なんて、できるモノですか。
それをもっと、オトナは自覚するべきですし――子供の在り方がそのまま、オトナへの評価だと言うことを――現状を踏まえて我々は、反省するべきでしょう。

それを自覚している人間は、ごくごく少数で。
そんな志ある仲間がどんどん潰されていく、そんな模様もたくさん見てきました。

それが、残念で仕方なくて――僕が情報発信している大きな理由は、それを訴えるため――なのかも、しれないですね。
まぁ、かなり話は脱線しましたけども。

もしも、このブログ記事に目をとめてくださった皆さんが、「なんで自分はこんなことをしているんだろう?」と思う機会がありましたら。
是非、その理由を突き詰めていただきたいです。

占いって、ありますよね。
あれって、自分で腑に落ちてしまうから、当たるんです。

で、理由が分かったときの感覚って、占いが当たる感覚に近いんです。
すごく、すっきりしますよー

……まぁ、理由の質によっては。
さらに「じゃあ何で……」と、考え込んでしまうかもですが――それはそれで、醍醐味のようなモノですから(苦笑)。

――じゃあ、僕も頑張りますか。
目的はまだまだ、遠いところにありますから♪
posted by バロック at 13:59 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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