ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2014年05月25日

誇りはエネルギーですな

よく思うんですけども、『プライドを捨てろ』って言葉は間違っているよなぁ……と。
そもそも、“プライド”って日本人には何て訳に変換されているんでしょうね?

『傲慢』とも訳せますし、『誇り』とも訳せますけども。
前者は主に、悪い意味で使いますからねぇ……後者は、どちらかと言うと『誉れ』に近い意味合いで使いますね。

で、『プライドを捨てろ』って言葉がなんで間違っていると思うか、ですけども。
捨てるって言葉に、引っ掛かるからです。

んーっと。
捨てるってのは、何にもならないモノに対して消去法で使うモノだと思うんです。

3Rが普及する以前は、何でも捨ててたわけですし(ですから、明治時代以前の日本人ってすごいなぁと思うわけですけども)。
今となっては、空き缶を捨てるとか、ペットボトルを捨てるとか――はたまた、ガソリンを捨てるとか意味不明もいいトコって認識ですけども。

つまり何が言いたいかと言いますと。
プライドは資源だと、言いたいんですよー

原動力と言いますか。
燃料と、言いますか。

例えば、ゲームに負けたら悔しいと思えるのは、プライドがあってこそです。
ですから、苦汁を舐めた人間は克服しようと思えるわけですね(実際にやるかどうかはそのかた次第ですけども)。

プライドのない人間は、そもそも悔しいなんて言葉とは無縁です。
するとどうなるかと言いますと――後悔どころか、反省をしない人間になります――ね。

なのにも拘わらず、『プライドを捨てろ』って言葉が流布されているのは、何故でしょうか。
自然摂理の法則にも当て嵌まってない、矛盾した言葉だと思いますけども。

資源を捨てたら、地球に厳しいですよね。
じゃあ人間の資源を捨ててしまったら、その人間はどうなっちゃうんでしょうねぇ……?

まぁ、自分の外にそれを放り出してしまうと言う考え方であれば、それはそれで。
自分自身の認識外にそれを捨てるわけですから、そこに属している誰かに『何してくれてんじゃー!』って思われて危害を加えられてもしゃーないとは、僕は思いますけども。

そもそも、『傲慢』って確かに、某宗教では罪でしょうけども。
罪ってのは、燃やすのが相場です(煉獄とか地獄とかで)。

これは僕の勝手な考え方で、宗教観とか度外視したモノなんですけども。
天国とか煉獄とか地獄とかって、もうこの世で日々、皆さんは経験されていると思いますよ?

宗教を否定しようとは、微塵も思ってないですけども。
この世で酸いも甘いも経験しないで停滞している人間の末路は――死ぬ間際の後悔と、それを清算するための返済地獄だ――と、勝手に思っています。

まぁ人間ってのは基本、上に行こうと思えばどこまでも上に行っちゃいますし。
下に堕ちようと思ったら際限なく堕ちるモノですから。

やっぱり、死にたくないなぁと思いながらみんな、あの世に逝くんだと思いますよ。
そんな未練を抱えながら、それでも悪くない人生だったなぁと『諦』められる人間が、安らかに眠れるんだと思いますよ。

……ここで強調したいのは。
『諦める』ってのは、仏のやることだと言うことです。

生きているうちは、やるべきではないです。
誇りを持っている人間は、だからこそ『諦める』なんて言葉とは縁遠いと、僕は思うわけで。

それを、『捨てろ』とオトナは言うわけです。
世も末ですねぇ――模範となる人間が、何故そんなことを唆すのでしょうか。

ですから、皆さんはプライドを捨てないでいただきたいんですよね。
それは大事な資源になりますから――使い尽くしてください。

それが例えば化石燃料だとするならば。
全てが二酸化炭素と水になるまで、燃やし尽くすべきです。

――あぁ、これは仏法哲学に近くなるので、敢えて言わなかったですけども、言っちゃいますね?
えっと。

『プライド』って、『業(ごう)』とも訳せます。
そんでもって、業ってのは燃やすモノなのです。

煩悩即菩提
生死即涅槃

……と。
僕の大学での専攻が仏法哲学だったわけではないんですけども、大学で出会った恩人が仏法哲学に強かったので、僕はモロに影響を受けたクチだったりします←

いや、幼少期からアニミズムが強かったり、ウパニシャッド哲学とかに興味があったくらいですから。
仏法哲学にそのまま洗脳されたーってわけでは、ないんですけども。

宗教は脇に寄せるとしても。
それにまつわる哲学は、僕はどの宗派のモノでも好きだったりします。

……自身に確固たる哲学を持たないまま、宗教に走るのは僕、ダメだと思いますよ。
空っぽの思想に宗教が入ると、自分自身の思想がイコールで簡単に、その宗教になってしまいますから。

……え、それは経験則なのかって?
んー、いい線いってる疑問ですね。

僕はゴスペルをしたいがために、プロテスタントの教会に通ってた時期がありましたけども。
僕の中に確固たる哲学があったからこそ、洗礼を勧められてきたときに「これは違う」って思えたんでしょうし。

何度も申しているように、宗教を否定しているんじゃないです。
ただ、『敬虔イコールどっぷり洗脳』では、断じて、全く、全然、違うってことなのです。

――少なくとも僕は、そう思ってますよ。
まぁ、このお話も「何言ってるんだコイツ?」って思われた方がいいなぁと、思ったりしますけども←

と言うわけで。
今回のブログ記事はこの辺で〜♪
posted by バロック at 16:25 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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