過去に読んだ本を。
改めて読み返すことがあるのですが。
好きでずっと読んでいた本については。
それほど印象が変わらないにも拘らず。
それほど好きではなかった本を読み返すと。
印象が変わっている、と言うのは。
僕が成熟したから、としても。
いいのだろうか、と思うのです。
別に、いい意味で捉えてもいいのでしょうけども。
当時のほうが優れていたモノだって、あるわけでして。
んー……例えば。
若さとか若さとか若さとか←
え、今も若々しい?
『そこに直れワレェ!!』と言いましょうか?
若々しいと若いとは雲泥の差があるのですよ。
気休めにも程がありますそれでも嬉しいところがもう若くな……え、幼い?
そのとーりっ!
正直なあなたのことを打首にしてもいいでしょうk(ry
と言うのは、置いておいて。
取り乱してしまいました、失礼←
まぁ、当時だからこそ楽しめたモノもあれば。
当時だからこそ理解できなかったり、つまらなく感じたモノがあるとして。
それが後々、面白いモノと思えるようになったら。
大体のことについて『当時は青かった』とか『当時は未熟だった』とか言えるわけですけども。
果たして、そうなんだろうかと。
思うわけですよ。
涙脆くなることは、加齢に依る前頭葉の機能低下が関係すると言われています。
じゃあ、何にでも感涙してしまうことって果たして──成熟した結果だと言えるのだろうか、と言うことなのです。
人間として成熟、と言えば聞こえがいいですし。
その定義からして過去の自分が未熟と結果、相成るとしても。
それと言うのを、優劣とイコールで固結びするのは。
なんだかなぁ、やり過ぎなんだろうなぁと。
そう、思うのでした。
その証拠に──僕は、今の僕もいいと思っていますが。
過去の僕も、あれはあれで。
よかったなぁと、思いますもん。
今と共通な部分のほうが、そりゃあ大きいですけども。
以前の僕とは異なる部分と言うのも、少しばかりはあるわけですが。
それを、成長の証だとか。
成熟の証だとか、思うのは。
違うんだよなぁ、と。
もちろん、その異なる部分を悪しきモノだと思わないのですが──ん、そうですね。
たぶん、僕が。
卵の状態でも、幼虫でも、蛹でも──変態を終えた甲虫でも。
同じように、葛藤したんだろうなぁと思いますよ。
仮に今の僕と同じ思考力があったとしての話ですが←
そのうち、過去にあったモノといまあるモノ。
それと、過去から見て失ったモノを見ていったときに。
納得できる瞬間が、自ずとやってくるとは。
経験則上、思えるわけですけども。
それもそれで、いいのだろうかと思うわけでして。
じゃあ納得できる瞬間に出会したときの僕はこの感触を忘却したわけではなくして、どう折り合いを付けたんだろうかと。
そう、未だ来ていないモノについて考えるのでした。
これも、こう言う児戯めいたことが好きだからこそでしょうけども──少なくとも、幸運なのは。
こう言うの、僕。
イヤじゃないって──言うこと、ですね。