僕にとって、計算とは。
無関心ゆえに可能な代物と言えます。
関心があれば、気が散るので。
計算にならないのです。
考慮に入れるモノが多くなりすぎる、と言うことでもありますし。
計量可能なモノとして認識できなくなる、と言うことでもあります。
例を挙げると。
最近、アオリイカを調達したんですよね。
……なんの話かって?
計算の話ですよ?←
……えっと。
そのアオリイカ、すっごく新鮮で。
美味しくってですね。
ただ、捌く前は──生きてたんですよ。
……え、そりゃ捌く前はなんだって生きてるって?
いや、家の俎の上に置かれた状態でもまだ生きていたってことですよ。
そのとき、僕は。
捌きたくないなぁって思ったんです。
吸盤に触れると、くっつくんです。
耳の部分に触れると、鮮やかに光るのです。
それを捌くのかぁ、と。
もったいないなぁと、思ってしまいまして。
……え、可哀想じゃないのかって?
同居人にはそう説明しましたが、実際には異なります。
可哀想なのではなく。
もったいないのです──ずっと、眺めていたかった。
捌かずに、ずっと。
生が途絶える瞬間を──こちらが手を下すことなく──眺めていたかったのです。
僕が殺すには惜しいと思ったのです。
それほど──綺麗、でしたから。
……ただ、いったん捌いてしまうと。
サクサク進んで結局、10分後には胃袋の中なのです。
つまりは、そう言うことです。
捌いてしまえば綺麗だったモノで──あの綺麗なモノは、過去のモノになるわけですから。
あとは、容赦なく。
掻っ捌けると言うモノなのです。
それに、計算は似ていると思います。
冷たい思考にて運用されるべきです──そこに私情は必要ありません。
そして、解いてしまえばもう。
その存在すら残らないように──それはさながら流星の如く──消えるのが望ましいのです。
──なので無関心は。
言い過ぎ、でしたかね。
水のように淡い関心くらいは。
あると言っていいかもですね──胃の中に入れたらもう気が済むくらいに、です。
と、言う話をしつつも。
オチは特にないので突如この話を終えようと思います←←←
posted by バロック at 20:01
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日記
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