ルーン使いの言の葉

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

2019年05月31日

希望的な話

何人たりとも殺さず。
人として生き。
人として死にたい。

……と言うのが。
僕の願いなのですが。

時折、脳内で某ロシアの大統領が過るんですよね。
彼、人を殺したことがあるかって質問で。

それは、この手で、と言う意味かな?
なんて、返したらしいですから。

僕自身、この手で人を殺めていなくても。
間接的に誰かを殺していないか、なんて言われれば。

自信が、なくなってきますもの。
だって、生きるってそう言う意味じゃないですか。

なんて、書いてみます。
そう考えると──行き過ぎた菜食主義者とは何とも生き難い人種だなと思うのでした。

僕は菜食主義者じゃないですけどね。
バランス重視、うん。
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2019年05月30日

視野狭窄に陥っている人を観ているときの話

単純にしようとするあまり。
極端に簡単にしようとする人を見ていると。

よっぽど不安なのかなと。
思う自分がいます。

点に勝手に収束させて。
それを1つの真理かのように吹聴する様は。

滑稽だなと。
そう、思うのです。

人は、不明なことに直面すると。
単純しようと無理やり知覚できないモノを削ぎ落としてそれを、結局、物事は××に集約される≠ニ。

そう、表現し始めるのです。
そして同じく思わない人を迫害し出す──ことが、多い。

自ら盲目になるように。
それしか見えないように、それすらも見えなくなるようにするなんて。

愚かしいと、思うのです。
それとも××に近付いていく過程を、そこに到達したときの全てを知覚できると言うのでしょうか。

それこそが、人間の驕りであり。
探求者が唾棄する慢心ではないだろうかと。

そう、思うのでした。
嗚呼、私情でございます。
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2019年05月29日

浮いている話

もしかしたら。
僕のことをタナトフィリアだと思う人もいるかもしれませんが。

それは、誤解です。
自らが死ぬことについて思考しても性的快感を得られませんし。

僕の場合は。
現時点に於いては、生きてても死んでいても構わないと言う人なのです。

そこに、思考も志向も嗜好もありません。
ただその現実だけが、在るのみです。

僕はそれが存在すると認めているだけで。
進んで死ぬことを望んでいて且つそれに酔い痴れているわけではないのです。

黙っていても。
人は死ぬので。

死に至る過程が。
楽しいモノであればよく、それは自分次第であると。

ただ、それだけなのです。
つまり──僕は、生のみ≠ニか死のみ≠ノついては特に何も思わないのです。

線になっていないモノには。
特に、何にも、です。

だって、点と点があれば結びたくなりますし。
関係のある点を──なぜ結ぶのかをきちんと意識して──結びたいと思いますもの、違うんですかね?
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