行事に実感を持てない人だからか。
年が明けることにも、実感を抱けなかったりします。
実感のできる境界を。
肌で実感できないから、かもしれませんね。
数字を僕は記号として見做しますし。
その時間を超えたから、と言っても別にその超えるそのときは随時経験し続けているではないかと。
そう、思うモノですから。
だから僕は、計算が早いのかもなぁと思うのです。
なんの感慨もなく、計算を終えては。
鼻をかみ終えたティッシュペーパーのように、興味を失って捨ててしまうので。
今回の年越しを迎えた今に至っても。
まぁ同じように日々は巡るんだよなと、思うわけでして。
……あぁ、それでも。
こんなことは、ぼんやりと思うわけですよ。
こうして年を越す前にどれだけの生きとし生けるものが命を落とし、生まれ落ちたのだろう。
年を越す瞬間にどれだけの生きとし生けるものが命を落とし、生まれ落ちるのだろう。
そして、これから。
どれだけの生きとし生けるものが命を落とし、生まれ落ちるのだろう……と。
これからも、きっと。
僕の情報処理能力が追いつかないレベルで生まれ、生き、死ぬ存在が現れ続けるのでしょう。
僕がそれを観測し続けることが、これからもできるのであれば。
もう少し、生き永らえるのも。
アリだなと、そう思うのでした。
それを続けていけば──きっと、僕の願うことは達成されるでしょう。
僕は、願うのです。
何人たりとも殺さず、人として生き、人として死にたい。
──と。
きっとそれは、すぐに達成されないモノでしょうけども。
ゆっくり僕の宿る器が朽ちていって。
ボロボロに櫛の端のように欠けていくそれを眺めているうちに。
その悲願達成の時が近いことを悟るのでしょう。
そしてそれが僕の本懐足り得るに、違いありません。
……さて、今年も残り僅かですが。
よい、お年を。
また来年、お会いしましょう。
ぜひ──人として。